視界良好、障害物なし。

私が思う幸せは、あなたが思う幸せじゃなかったの。

小話

 高校三年間、家から最寄り(田舎だから全然寄ってない)駅まで自転車、そこから高校の最寄り(これも大して寄ってない)駅まで電車、降りたら歩いて高校、という通学路だった。

 高一の夏休みは、それほど長くなかったけど間に補習はなく、母方の祖父母の家に行く以外は外出しなかった。
そしたら見事に家から駅までの道を忘れた。
二手に分かれた道の逆を行った。

 元から朝は弱いのに、生活リズムを直さなかったせいで家を出たのはギリギリ。
二学期とは言ってもまだ八月で、朝でもかなり暑い。
道を間違えたと気づいて自転車を止めたらフラフラして、暑い夏には気持ちがいいくらい顔が冷たかった。
いや気分は最悪だけど、絶対に間に合わないし。

 自転車を押して来た道を戻って、途中にある父方の祖父母の家に寄って駅まで送ってもらった。
最初は今回だけのつもりだったのに、気づいたら毎日送ってもらうようになった。
次第に祖父が家まで迎えに来るようになった。
気前よく、コンビニやマックで何かを買ってくれることも多かった。

 そんな祖父が脳梗塞で倒れたのは二年の秋だった。
早朝母親に電話があり、何のこっちゃ分からないままその日から駅まで自転車で行くようになった。
お見舞いに行くと、私に何でも買ってくれて、毎日きょうは何があったかと笑って聞いていた祖父がチューブに繋がれベッドに寝ていた。
心臓がバクバクした。

 母親が父方の祖父母をよく思っていないため、毎週見舞いに行くようなことはなかった。
祖父のことは心配だったけど、元々病院が嫌いなことと前回の衝撃のせいで、正直私は行かないことに安堵した。
次に行ったときは他の患者さんと夕飯を食べていて、こちらに気づくと片手を上げ歩いて個室まで案内してくれた。

  そのことに安心したのも束の間で、祖父はろくに喋れなくなっていた。
口にタオルを当てていないとよだれが出てくる状態。
今回もショックだった。
その後は祖父が話したいことを文字に書いてやりとりをした。
祖父の希望で私はメアドを交換し、祖母にお願いされたように頻繁に今日あったことを短くだけどメールするようになった。

 母は嫌に思うらしく、しばらくすると私に「もうお義父さんにメールを送らないで」と言ってきた。
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